江戸時代、大名や公卿などの間では、女の子が生まれた家に初正月の祝いとして、相手の家紋を表面に付けた美しい飾り羽子板を贈る風習がありました。この金銀の箔を押すなど、精巧な細工をこらした羽子板が「左義長(さぎちょう)羽子板」です。
羽子板を贈る風習は、やがて町人の間にも広まりました。年の暮れに市中のあちこちで立つ羽子板市は、江戸の名物にまでなりました。特に後期の江戸で生れた華やかな押絵羽子板は庶民の人気を博し、関西地方にまで広がりました。
羽子板には、観賞用の絢爛豪華なものと、実際について遊ぶための簡素なものとがあります。羽根つきは新春の遊びとして親しまれ、女の子の間で盛んに行われました。
羽根つきは、もともと新春の災厄よけのまじないから生れた遊びです。中国に生まれ、室町時代に日本に渡来したと考えられていますが、江戸時代には、正月に羽根つきをすると夏に蚊に刺されることがないと信じられていました。この羽根つきは、江戸の女の子が楽しむことを許された唯一のスポーツでもありました。
鑑賞用の押絵羽子板は、初正月の祝いとして贈られただけでなく、役者の似顔絵のついたものなどは、現代でいうスターのブロマイドのように女性たちの大切な宝物にもなりました。[文面は日本人形協会より引用。]
羽子板は「邪気を羽根(はね)のける」の意があり、「難を逃れ、美しく華麗にあれ」という願いをこめて、女の子のお正月飾として受け継がれています。
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